らんど~なの略歴

  

1963年

誕生

兵庫県神戸市で生まれました。

1983年

立命館大学に入学

理工学部化学科(物理化学)に入学。
京都の太秦で暮らしていました。
1回生の時には射撃部に所属していましたが…
2回生からは帰宅部になり、国内をふらふらと旅行していました。
基本的に学業よりも遊び(人生勉強)に力を入れていました。
4回生で物理化学の研究室に入り、これが電池との出会いとなりました。

1987年

GS(日本電池)に入社

就職の内定はもらったものの、大学を卒業が危うかったのですが何とか入社しました。

産業電池事業部技術部:
電池の基本を学び、電極や電池設計の開発改良をしました。
電極開発を中心に、大型セル、小型セルの開発。

GS-SAFT技術部出向:
フランスのSAFT社との合弁会社に出向し、小型電池の開発改良しました。
主にHPS、携帯電話用等の電極、小型角形セルの開発設計。円筒型もしました。

研究開発本部第二研究部:
発砲ニッケルを使用した電池、ニッケル水素電池の設計開発。
HEV、電動工具、電動アシスト自転車等のセル開発。

研究開発本部EV推進センター:
主としてEV用電池の開発。セル評価、システム設計。
イロイロな動力用途向けの開発。CAEによるシミュレーション評価等。

特殊電池事業部:
大型リチウムイオン電池のシステム開発。
B787、潜水艦等の電池システム。

GS時代は電池に関するいろいろな知識を得る時でした。
数10mAh~数kAhのセルまで経験しました。
もちろん、趣味もイロイロしましたね。
旅行、スキー、ボート、ヨット、キャンプ、自動車、バイク、無線、麻雀、飲み会…
まあ、短期間でしたがバブルも経験しましたからね。

2006年

LG化学に入社

横浜のオフィスと韓国(大田)のリサーチパークの2拠点を1往復/月で行ったり来たり。
結構飛行機に乗りましたね。(免税店も楽しめました)

本来はモジュールやシステム化(構造)のはずだったのですが、セル特性や制御の話まで…
BMSに関する知識と検討はこの頃からですね。

韓国の文化を経験し、また、韓国国内では普通の生活の中で楽しく遊べました。
ソウル、大田、釜山等での観光も出来ました。
横浜も”みなとみらい”を中心に良く出かけました。
たまには東京の方へも行きましたね。
しかし、撤収間際に鎌倉に行っていないことに気が付き、
慌てて鎌倉大仏、鶴岡八幡宮、由比ガ浜、七里ガ浜、江ノ電、藤沢辺りを回りました。

横浜撤収後、3ヶ月程韓国の大田に居ましたが…
やはり韓国で生活し続ける気はなかったので転職しました。

2008年

エリーパワーに入社

GS時代の知人の紹介がありベンチャー企業のエリーパワーに転職。
(慶応大のEVをやっていたつながりで…)

当初は京都の太秦のオフィスでの勤務。安全性を重視したLFP電池の開発。
まあ、ベンチャー企業なので何でもやらないといけないとは思っていましたが…
結局、技術開発⇒営業技術⇒電源開発⇒営業⇒企画管理と、部署を転々としました。

2010年からは東京の大崎にあるオフィスに移動になったので、五反田に部屋を借りての生活。
山手線の内側、川崎や蒲田辺り等は歩き回ったりしましたね。(大阪より東京の方が詳しいかも。)

電池に関しての技術力向上は殆んど無かったですが、いろいろな業界を知りました。
(建設業界、官公庁案件、エネルギー業界、電源関係、金属加工関係、医療関係、道路(高速)関係、商業施設、それと電池工業会(笑))
そうそう、元大手放送局のアナウンサーで元某会社の秘書室長の方から社長等の経営者の考え方等も教えていただき、これは後々とても参考になりました。

まあ、面白くないことも多々ありましたが、今になって思えばとても為になった期間であったことは事実ですね。
その後の仕事において、この時の経験や人脈が大いに役立ちました。(^.^)
また、5年くらいではありましたが東京で生活した経験は良かったですね。
何といっても、TVのニュースやドラマを視た時に何となく土地勘があったり、懐かしい風景が観れるのも良いものですよ。

2015年

SANIXに入社

戸建て用の太陽光蓄電システムを開発したいとのことで、バッテリーシステムを開発する為に入社。
京都のけいはんな学研都市にあるオフィスが拠点とのこと。
けいはんなに居所を確保して過ごした。

入社直後、けいはんなにバッテリー関係の部門は無く、SANIXの組織内にも該当部門が見当たらない。
そして私の名刺には役職として”顧問”となっていた。
”何だかおかしいな…”と思ったいたら、結局は
”そこでバッテリーシステムを開発する部門作ってね”
ということだった。(^-^;
3ヶ月くらいしたら名刺の役職は”けいはんな開発センター センター長”に変わっていた。(笑)

先ずは人集めから! 面接を受ける側からする側に変更。
所属人数は1人から瞬間最大約50人まで変化した。
けいはんなの組織としては、電池、生産技術+品証、構造+電気、BMS等がありました。
仕事の範囲は結構広く、システム開発以外にもセルメーカー探し(中、台、韓)、部品・設備メーカー探し、国内工場検討(場所、設備、輸送)、展示会参加、
そうそう、JET認証取得もありましたねぇ...
(番外編でサハリン訪問もありましたが… (^-^;)

いや~ やってみるもんですねぇ。
2年弱で蓄電システムとしてはJETの工場認証を残すのみというところまで到達しました。(^^)/
2月の展示会で商品発表! というところまで行ったのですが、
1月に推進の中心であった社長が亡くなり、会社の方針が変更になってしまった。残念!
けいはんな開発センターの意見としては、SANIXに残っても希望する仕事は得られないとの考えで解散を選択。
まあ、短い期間でしたけど、結構濃い~経験でしたね。(^^)/

2017年

パナソニックサイクルテックに入社

リコール社告の影響もあって、安全な電池パックを開発したいとのことでジョインしました。
場所は柏原市にあるので、八尾市内に居所を借りて通勤していました。

セルメーカーやパックメーカーの選別等に制限は付けないとのことなのでイロイロと検討しました。
SANIX時代と同様、中国や台湾へのメーカー訪問も沢山行きましたね。
結果としてはセルの形状、設計、組電池構造、制御による影響を確認することが出来ました。

まあ、面白かったのは… ”家電メーカー”を知ったことですかねぇ。
私にはあまり合わない文化でしたね。
また、”学習”に対しても考え方が少し違いましたね。
こういう世界もあったのか・・・というのが感想ですね。(゜-゜)

しかし、何といっても記憶に残ったのは、
 ・リコールを出すというのはこういうことか!
 ・コロナの影響!
ですね。(;^ω^)

幸か不幸かリコールを出したところに関係するのは初めてでした。これは大変勉強になりました。
コロナの影響も大きかったですね。開発方針の変更もあり、残念なことも沢山ありました。
また、渡航制限、在宅勤務、リモート会議等も実体験により勉強させてもらいました。
中国の武漢にも問題が発生する半年くらい前に訪問していました。
在宅勤務により八尾の居所は2021年の秋には解約していましたね。
(週に何泊かなんば辺りのホテルを利用することが多くなりました)

リモート会議は便利ですね。
老後の知人との連絡手段としても便利ですし...
これを利用したコンサルタント業でも始めようかと思っています。

2022年

高等遊民へ

自由気ままに過ごしております。